2005年10月23日福井県春江町ハーモニーホールにて『第20回国民文化祭2005ふくい「室内楽の祭典・大正琴」』を無事終えることが出来ました。立ち見席が出るほどの盛況でした。
秋田県・新潟県・愛媛県・山口県からの県外6団体の出演に加え、県内団体もそれぞれ県外からの応援出演なり友好団体との合同演奏なりで、全国津津浦々から出演者をお迎えしての大正琴の祭典でした。
私は企画委員長として、参加者の皆さんが「参加して楽しかった!春江迄きてよかった!」と思って頂けるようにと、神経を張り詰め、緊張のあまり、その日は38度の熱が出て、風邪薬に始まり、栄養剤、ありったけのサプリメントを飲みまくり状態での出演でした。
そして!!そして!!まさしくその日は、私達が数年の歳月を費やして開発した、新型大正琴「西沢純子式アコースティック大正琴ベガ」のデビューの日でもありました。
マイクもアンプも使わずに大正琴の生の音の演奏を、お客様に楽しんで頂くのです。「悲しい酒」を演奏しましたが、ソプラノ大正琴、アルト大正琴、テナー大正琴を西沢が独りで弾き分け、ベース大正琴を音楽監督の三寺幸雄さん、ギター伴奏を同じく音楽監督の奥下順造さんが担当して下さいました。
今までの大正琴は、音量の足りない分をアンプの力を借りて弾いておりましたが、アコースティック大正琴は右手の力加減一つですべて表現しなければならず、弾き方がまるで違います。出来上がってから本番迄20日間ほどしかなく必死で練習しました。本来なら楽器は2〜3年弾き込まないと思うような音にはなりません。しかしどうしても国民文化祭で全国の皆様にアコーステイック大正琴を見て頂きたかったので無理をしました。
制作者の浦井和美先生は制作中、木の破片が顔に当たり、前歯を折り、唇を切る怪我をされました。私は私で大切な大切な右目が(左目は小さい頃アクシデントでほぼ失明…詳しくはコーヒーブレイクのJR事故のところをお読み下さい)練習のし過ぎで、白目の部分が内出血で真っ赤に充血し、眼球は腫れ上がりました。本番ではどうにか薄桃色の色っぽい目(?)に戻りましたが…。音色を調整する音楽監督の三寺さんは、寝る間もないほどでダウン寸前の状態。
これも偏にアコーステイック大正琴の音色、私たちが目指している本当の大正琴の音色を皆様にお聞き戴く絶好のチャンスに間に合わせたい一心からのことでした。
本番当日!プログラムは最後の出番!
スタジオ会員と講師陣の合同演奏で「昴」を、講師陣だけで「夜桜お七」を、再び全員で「風雪流れ旅」の三曲を演奏、嵐のような拍手の中、私は、コンサートマスター席から「スッ」と立ち上がり、舞台を降りて客席の中央に向かう。お客様はなにごとか?と思いながらも、あちこちから「…ワー奇麗な人…」「…お人形さんみたい…」と、ささやく声が聞こえてきた。それまで熱で少しふらついていたのに、その声が聞こえる度に熱が一度ずつ下がり、前もって、客席の中央にしつらえておいたアコーステイック大正琴のセットの前に立った時には、すっかり平熱になり「〜やーるーとおもえばーどこまーでーやるさー」と心の中から歌が聞こえてきた。(…私はアホ!かもしれない?…)
体の奥底から炎が燃え上がり、私は全身全霊で「悲しい酒」を演奏した。静まり返った聴衆からため息が上がり、一瞬の間を置いて、嵐のような拍手と大歓声とともに、私は聴衆に取り囲まれてしまった。握手を求める人、記念撮影を頼まれる人人人。
アー!大正琴をやっていてよかった!!!。
普通では味わえ得ない、感動を味わえさせてもらい、人生最良の瞬間である。あたかもドキュメンタリー「プロジェクトX」の世界にいるようだ!
今回、全国から『第20回国民文化祭2005ふくい「室内楽の祭典・大正琴」』に出演して下さった皆様、そして、当日激しい風雨の中、会場まで足をお運び頂いた大正琴フアンの皆様、そして、運営に渾身のご努力を振るわれた関係者の皆様、本当に有り難うございました。
今日は10月26日…まだボーっと感動の余韻の中にいる。積もり積もった疲れもある。
でも11月にはコンサートが二つあるし、ニューイヤーコンサートもあるし、何より来年10月15日の第17回西沢純子大正琴スタジオリサイタルの選曲に入らなければならない。ボーッとしている暇はないのですよ、純子さん!!!
それでは又この部屋でお目にかかりましょう。
2005年10月26日