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いろいろなエピソードを綴っていきたいと思っています。
Episode in my life.

2006年制作 アコースティック大正琴ヴェガ誕生

癌との闘い 癌との闘いその2 癌との闘いその3・退院 ●春の雪 ●戦闘モードに突入 ●西沢純子とアンサンブル・ヴェガ ●トップページリニューアル ●トドの昼寝 ●悪妻宣言…されど ●体がもっと欲しい ●痛み ●演出

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2003年制作
 徒然なるまま

2004年制作
 15周年記念リサイタル

2005年制作
 文化芸術賞受賞
 

2006年制作
 ヴェガ誕生コンサート
 

2007年制作
 エッセー集出版

2008年制作
 初めての指揮者体験

癌との闘い

 

 例年にない大雪の為、講座の休講が多く、寒がりの私は炬燵に潜り込む日が続いている。頭の中では「あれもしなければ、これも…。」と思いつつも、一旦炬燵の温もりにはまり込んでしまうともうアウト!で、なかなか抜け出せない。

 実は、2006年2月6日に、私は子宮癌の手術を受けなければならない。2月2日に入院の予定だが、それまでに、様々な検査を受けなければならず、私が留守の間の段取りの準備が山ほどあるのに、炬燵に入って余りの気持ち良さについウトウト!

 癌のほうは幸い早期発見だし、人間の寿命は生まれた時から決められていると思っているので、ジタバタしても仕方なく、手術には何の心配もしていない。
 しかし私の寿命は神様しか知らないし、万に一つ、否、億に一つの時のことも考えて、二階の掃除をしておかなければ…。(一階は来客があり、主婦西沢純子としてのプライドに関わることなので常に掃除をしているが、二階はプライベートな住まいなので未だに夏ものが置いてあったりする…。)仏壇に私のお気に入りの写真も入れておこう…。しかし誰も用意しておいた写真に気が付かなくて、変な写真を飾られたらどうしょう…。だけど余り用意周到にしておき、神様が慌てて迎えにこられても困る…。などと考えながら、体がカーペットに接着したごとく何もしないで寝ている。

 私は3年前にも甲状腺癌の手術を受けているし、17年前には胆石を69個も溜め込んで胆のうを切除している。これでは全く「切られの与三郎」も顔負けだ!。

 だが、たかが癌ごときに、私の命を譲る訳にはいかない。!!

「アコースティック大正琴ベガ」を生み出したばかりで、現在はアンサンブルのメンバーの数を制作中だ。
 従来の大正琴をアンプ等を使用せずに演奏し、当然ではあるが音が小さいため、それをマイクで拾い会場のスピーカーから流して「生音で演奏」といっているのは誤解を招く。演奏者にとっては生音と言い得ても、会場のお客様にとってはマイクとスピーカーを経由することにより、もはや生音ではなくなってしまっているからである。
 一方「アコースティック大正琴ベガ」は共鳴板そのものが大きく出来ており、又、構造的にも共鳴を容易にする工夫をした為に、楽器自身の発する音が従来の何倍も響き、マイク、スピーカー等の力を借りなくても、大正琴の弦楽器としての本当の音色を直接、会場のお客様に楽しんで頂けるのだ。「アコースティック大正琴ベガ」を得て、常日頃、訴えてきた「大正琴は弦楽器」の実現の緒についたばかりだ。とても死んでいる暇などはない!!
 3月11日には私の住まいしている「春江町」の閉町式典で演奏を依頼されている。(2006年4月1日より春江町、坂井町、丸岡町、三国町の四町合併で坂井市となる。)4月には「アコースティック大正琴ベガ」のデビュー演奏会の予定、5月にはストリングフェスティヴァル…と忙しくなる。

 ここ迄書き進んできたら、炬燵に取り付かれてボーッとしていた頭の血が騒ぎだした。寝てなんかいられない。よーし!掃除だ!!。

 それでは又この部屋でお目にかかりましょう。

2006年1月14日

癌との闘いその2

 美容院に行って髪を短く調えて来た。明後日(2月2日)の入院に備える為だ。病人と言えども、それなりに身ぎれいにしていたい。買い物もいろいろとした。私は寒がりなのであれこれとバックに詰めたら、海外旅行に行くくらいの荷物になってしまった。

 初期の癌だから100%保証すると言われているが、人間のすることに絶対ということはない。万に一つの場合の備えも主人に言っておかなければ…と考えて「お父さん!(福井の方では主人を呼ぶときこのような言い方をすることが多い。)私の生命保険証はここ。この貯金は家の改築資金、これは長男の結婚資金…連絡すべき人達の電話番号はこれ…」と、話し始めたら「そんなこと急に言われても覚えられない、君が退院してきてから、ゆつくり説明してくれ!」とさっさと炬燵に入ってしまった。!!???

 この人は120歳まで生きるだろう…。

 3年前の甲状腺癌の時は、気の弱い主人のことを心配して手術のことを、ぎりぎりまで隠していたが、手術同意書に主人のサインが必要なため入院直前に話したら、主人は泣き出して仏間に入り「南無阿弥陀仏…」と唱え始めた。

 チョット、チョット!! 私はまだ生きてるっちゅうの!!
 おまけに翌日追突事故まで起こしてしまった。

 今回は、もう、驚くことの免疫ができているから、泣き出しはしなかったが、毎日元気がない。「大丈夫だろうなぁ?。本当に大丈夫だろうなぁ?。」と言わない日はない。

「だーいじょうぶ!大丈夫よ!130%保証されているのだから!元気出して!」と、私。

 一体全体どちらが病人か分からない。???

 さて!入院準備よし!さぁー頑張るぞ!

 この気持ち何かに似てるなぁーと考えたら、リサイタルの一週間前に似ていた。闘いの気合い充分!気合だぁー!!

 退院してから、又、この部屋でお目にかかりましょう

2006年1月31日

癌との闘いその3・退院

 2月18日(土曜日)無事退院致しました。ホームページをご覧頂きご心配頂いた皆様、お見舞いメールを頂戴した皆様本当に有り難うございました。こころより御礼申し上げます。

 さて、福井大学医学部付属病院での入院中の17日間は、時間がゆったりと流れていたはずなのに、過ぎてしまうと、あっ!という間の短い期間でした。2日に入院し、6日の手術日までは検査と診察の時間を除き、持ち込んだ本を読んで過ごすのが日課でした。
 窓から眼に入る外の景色は真綿を小さく千切って風であおるように、はらはらと小雪が舞い降りる冬景色なのに、ガラス一枚隔てた院内は素足でいられるような暖かさで、春の陽気の中で本を読んでいるような心地よさは、私は何のために此処に居るのかすら、すっかり忘れてしまう程でした。

 検査の結果、私は子宮内膜異型増殖症と診断され、子宮と卵巣を摘出することとなった。

 2月6日手術当日、朝8時、処置室にて手術の為の準備が始まった。手術着に着替え麻酔が掛かりやすいように注射を打たれ台車に乗せられてゴロゴロと手術室に運ばれた。この時点になっても未だ「これから手術!」という実感が湧かずにいたが、手術室入り口で半ベソをかいて立ち尽くしている主人の姿を見て、ようやく「手術」の実感が湧いて来た。

 私は大きな窓のような入り口から、横滑りで手術台に乗せられ移動させられた。私には黒川医師、宮崎医師、栗原医師の3名が担当に付き、しかも手術は、高名な小辻教授が直々に執刀して下さるという幸運に恵まれた。
 私を乗せた手術台が所定の位置に運ばれると数名の方達が甲斐甲斐しく準備を始められた。黒川医師が静かに私の手を握られた。何かの準備をはじめられるのかなと思ったがそうではなく、準備の間中、只、握っていられるだけでしたが、その手からは「西沢さん、大丈夫!私達全員で貴女をお守り致します。心配しないで良いですよ!」と、いうメッセージが伝わって来た。それはとても暖かいやさしい御手だった。私も「先生!有り難うございます。宜しくお願いします!」と、手で応えた。黒川先生のやさしさに安心しているうちに、次第に意識が遠のいて行った。

「西沢さーん!」という問いかけに反射的に「はい!」と応えた。「わーっ!しっかりしている!」という声が耳元で聞こえる。「ん!何がしっかりしているの??!!私はとても気持ち良く寝ていてまだまだ眠っていたいのに…」と、うつらうつら。夢の中で私を乗せた台車が電車のように動きだし、それとともに意識も戻り始め目が覚めたとき私は自分の病室にいた。酸素マスクを掛けられ、心配そうに覗き込んでいた主人と目があったとたん、安心したのかハラハラと主人は涙を拭った。やっと「手術が終わった」ことが理解出来た。

 退院まで小辻教授は勿論3名の医師達、それに看護師長さん始め看護師さん達から、本当に頭の下がる手厚い看護を頂きました。特に3人のお医者様は平日は勿論、土、日にいたるまで朝晩「いかがですか?」と御尋ね下さる。「一体先生方にはお休みというのがおありになるのかしら?」と、心配になる程で、つい、「先生お体に気を付けて!」と、声を掛けそうになった。病人がいうのも変なので、慌てて言葉を飲み込んだが…。

 今回、私は「生かされている」ことの有り難さをつくづく思い知らされた。人間は一人では生きられない!「生かされている」のだ。生きて行く上で大勢の人々或は動植物そして自然に護られ「生かされている」のだ、ということを実感させられた。

 限りある命だからこそ、一日一日を無駄に生きてはならない…!

 それでは又この部屋でお目にかかりましょう

2006年2月20日

春の雪

 

 福井県鯖江市に河和田塗りの漆器で有名な河和田町という所が有り、そこの公民館で大正琴講座を開設しています。

 3月13日夜9時、講座を終えて外に出たら雪が10センチ程積もっていた。北陸では4月の桜の盛りの頃でも雪がちらつくことがあるので驚きはしなかったが、車に乗ろうとして、うっかり幅40センチ深さ50センチ程の側溝に左足を突っ込み、左太ももを嫌という程打ち付けて、仰向けに倒れてしまった。雪がこんもりと盛り上がっていたのと暗がりであった為に見えなかったのだ。
 倒れたのが仰向きでよかったと思った。開腹手術をしてまだ1ヶ月くらいの期間なので、全身の重みでお腹を側溝の角に打ち付けていたら救急車のお世話になりかねなかった。太ももの、固くなった赤紫の痣を見る度に思い出してはぞっとする。

 雪はその晩降り続き、翌朝には30センチ程の積雪になっていた。雪は雨に代わり雪解け水と重なって川が増水し、土砂崩れを起こして国道をえぐり取り、一昨年の福井洪水が思いだされた。泥水で増水の川を見る度に不安な気持ちにあおられた。今は水かさも減りおちついているが…。

 閑話休題、今、私は酒粕にはまっている。術後でお酒を控えているので、アルコールを搾り取った酒粕ならよかろうと、酒粕を手のひらに広げ、崩した黒砂糖を真ん中に置いて包み込み、3センチほどの饅頭のようにして、食後のデザートとして楽しんでいる。
 この世の中に、こんなに美味しいものがあろうか?というほど美味しい。つい、1個又1個と手が出て、この10日余りで1.5キロ体重が増えた。術後1.7キロ痩せたので残りは200グラムのみ…。
 うーん!!この体重増は絶対まずい!!。食べ続ければドレスが着られなくなる。
 「舞台に生きるべきか、食欲に生きるべきか」…?? そこが問題だ!!。

 そこで一句拝借

「世の中に、たえて酒粕のなかりせば、私の心はのどけからまし(字余り)??。」

 お粗末でございました。

 それでは又この部屋でお目にかかりましょう。

2006年3月19日

福井県鯖江市河和田公民館
http://www.city.sabae.fukui.jp/pageview.html?id=98

 

戦闘モードに突入

 

 私、西沢純子は10月15日の「第17回西沢純子大正琴スタジオリサイタル」に向けて只今戦闘状態なり!

 コンセプト、曲目は昨年末に決まり、奥下先生から次々と七部合奏用のオリジナル編曲の総譜も上がり、三寺さんの大正琴用のパート譜も上がり、残る作業は、私のお手本用演奏の録音のみ!

 例年2月から録音に入っていたが、今年は私の病気入院のため、3月後半から録音に入り、只今進行中。七部編成のため、一曲仕上げるのに七パートの多重録音が必要になる。生徒さんの曲だけで17曲!内、収録済はたったの6曲!

 あ〜あ〜ため息!!

 録音は三寺さんにお願いしているが、お互いに、日中も夜間も教室があり、二人が揃い録音出来るのは今の所、週に半日のみ。
 以前は夜中に練習してから録音に臨んだが、今は体力が無く、初見に近い状態でお手本となる録音をしなければならない。緊張感は最高潮!
 三寺さんはそんなことにおかまいなしで「西沢さん!こんな程度で生徒さんのお手本にするの?」と、やっとの思いで録音したファイルを冷酷にも消してしまう。そんな鬼のような、録音技師の叱咤激励に耐えながら、私は最早、必死の形相!!美人?台無し??

 録音を終えた後は精魂使い果たし「酒の粕饅頭がたべた〜い!!」と心底思う。酒の粕饅頭は、適度にほろ酔い気分の満足感を味わせてくれる。前号「春の雪」にて述べたが、「舞台」に生きるべきか、「食欲」に生きるべきか!の選択で、潔く「舞台」の方を選び、体重増加を防ぐため、買い溜めしておいた虎の子の酒の粕を全部、我が家の庭に埋めてしまったのです。

 あぁ…浅薄でした。今、その愚かさに歯軋りする程、後悔しています。酒の粕は埋めずに、ご飯の量を減らすべきであった。
 酒の粕の時期が終わった現在、スーパーの売り場には、最早次の出番を待つ食べ物が賑わいを見せているだけである。

 為す術もなく、未練がましく、酒粕を埋めたとおぼしき所を掘り返してみた。何者かが、酒粕を穴の奥の方に引き摺った様子があり、その量はこれみよがしに減っていた。土竜(モグラ)の仕業かしら?

 桜の木の下で花見の宴を催し、酒粕を肴に浮いた浮いたと楽しんだに違いない?!!…口惜しや!!

 それでは又この部屋でお目にかかりましょう。

2006年4月21日

 

西沢純子とアンサンブル・ヴェガ

 

 母が突然の心不全で救急車で入院した。心臓の弁が正常に作用しなくて血液が逆流し、それが原因で多臓器に支障を来たし、尿も出にくく、体もむくみ、呼吸数も30〜40しかないらしい。

 父が迎えに来るにはまだ早すぎる。娘としてはもう少し長生きして欲しい。出来る限り病院に顔を出すが、その度に母は、「迷惑を掛けて済まない。お母さんはまだまだ死なないから、無理してこなくても良い」と言うが、私としては気になって時間をやり繰りして顔を出すようにしている。そんな状態の中、心頭滅却すれど、炎、尚々燃え盛る懸案事項が次々と起こり、ストレスの為であろうか、か弱く繊細な私(?)は胃を壊し、此処数日おかゆのみの生活を強いられている。さぞ、皮下脂肪が燃焼してくれたに違いないと、期待に胸をときめかして体重計に乗ったら、なんの変化もなし。余程、私の体は熱量を溜め込んでいたらしい!!

 鬱々とする日々を過ごしていたが、5月27日「ストリングフェスティヴァル」が福井県立図書館の多目的ホールで開催された。このフェスティヴァルは毎年行われているもので、弦楽器の祭典だ。2日間にわたって開かれ初日は撥弦楽器のグループが出演し、私達「西沢純子とアンサンブル・ヴェガ」はトップに出演した。
 もちろん「アンサンブル・ヴェガ」としての演奏は初演である。リハーサルのときから、美しく、自らが癒されるサウンドに「きっと、お客様にも喜んで頂ける」という予感はあったが、お客様から「素晴らしい」「今までに聴いたことも無い癒しの音」「至福の時間を過ごせた」というたくさんのメールを頂き、胃の痛さがいっぺんにふっとんでしまった。もやもやしていたいろいろな懸案事項も、もうどうでもよくなってしまった。

 やっぱり演奏することは楽しい。もっとも、いい演奏をした時に限る話だが…。

 次は7月8日のハーモニーホールふくい(福井県立音楽堂)で開く「アコースティック大正琴ヴェガ誕生記念コンサート」が待っている。

 さあー!頑張るぞ!!!

 皆様のお越しをお待ちしております。

 それでは、又、この部屋でお目にかかりましょう。

2006年5月28日

 

トップページリニューアル

 

 HPのトップページが新しくなりました。念願であった「アコースティック大正琴ヴェガ」の開発に成功し、HPのトップページを早く入れ替えなければ…と思いつつ、演奏会が続き、やっとトップページを新しくすることが出来ました。是非ご覧下さい。

 2006年7月8日には「アコースティック大正琴ヴェガ誕生記念コンサート」を福井県立音楽堂で開きます。HPの新着情報をご覧頂ければプログラムが案内されております。一部は「アンサンブル・ヴェガ」の演奏で、二部は「アンサンブル・ヴェガ」がオーケストラの編成の中で弦パートの一部を担当します。一部、二部共、世界初、且つ唯一の楽器であり、編成であり、音色です。公演を一週間後に控え、開催を決めてから余り時間が無かったので、体力、気力共に命がけで取り組んでおります。

 閑話休題、先日各報道機関へ、7月8日の「アコースティック大正琴ヴェガ誕生記念コンサート」の取材依頼に出向きましたが、FBC福井放送を訪問した所、コンサートより楽器「ヴェガ」そのものの方に興味を持たれ、担当の方から突然、今から「演奏、インタビューの収録をさせて下さい」と言われ、心の準備も、服装も調える間も無く収録が済み、翌日「オンリーワンの楽器」としてニュースで紹介された。

 早速取り上げて頂き、喜び勇んでテレビを見たら、私がまるで馬のようにナガーイ顔に映っていて少なからず、ショックを受けました。がっかりしていたら、生徒さん達から「先生、普段の先生そのままに奇麗に映っていましたね!!」と言われ、二重の大ショック!!今日から顔の上下に板を当てて顔を圧縮しながら寝ようかしら?

 後日福井放送から電話で「先日のFBCでの放映分を、そっくりそのまま日本テレビで関東中心に放送します。」とお知らせ戴いた。
 それは大変有り難いことなのだが、折角花のお江戸で放送されるのに、普段着、普段顔(?)、演奏もしどろもどろ「あー…!これからテレビ局に行くときは何があってもいいように、心の準備をして行くべきであった!…」と少し悔いが残る。

 でもそんなことは言っちやいられない!、関東近辺にお住まいの方、是非是非、日本テレビを御覧下さいませ。

 それでは、又、この部屋でお目にかかりましょう。

2006年7月2日

 

トドの昼寝

 

 7月8日福井県立音楽堂小ホールでの「アコースティック大正琴ヴェガ誕生記念コンサート」は満員のお客様に支えられ好評の裡に幕を閉じた。一部は「西沢純子とアンサンブル・ヴェガ」単独の演奏、二部はオーケストラとの協演という構成だった。一部は「繊細で優しい弦の響きに感動」という声をたくさん頂いた。只、二部は多くの弦楽器や管楽器の音に「ヴェガ」の音がかき消され、本来の狙いが不発に終わり、いろいろ今後の反省点を残し消化不良のまま疲れだ けが残ってしまった。今まではどんなに疲れても、達成感で心身ともに高揚し、打ち上げで少々の疲れなど吹っ飛んでしまったのだが…。

 7月18日は朝からの激しい雨脚に一昨年の福井豪雨が思い出され、19日のレッスンはすべて延期し、テレビのニュースに見入った。
 深夜1時30分、役所から公民館館長を拝命している夫に電話が入り、「磯辺川が危険水域を超えたため、住民に避難準備警告を出すから公民館で待機するように」との連絡が入った。ようやく眠りに就いたところだったが、私は飛び起きて慌ただしく夫の出動準備!リュツクの中に、懐中電灯、軍手、雨合羽、着替え、バスタオル、普通のタオル2〜3本、バナナ3本、等等思いつくままに詰め込んだ。横で夫が「何でバナナまで入れるんだよー!」と叫んでいる。腹が減っては戦はできぬ!ついでにビスケットも押し込んで、大雨の中、夫を送り出し、その後はテレビを点けっ放しにして「万一の時は先祖が大事にしていた屏風や骨董品などを二階に上げなければ…」と思いながら朝までうつらうつら!
 幸い避難勧告は出されず、明け方近く、わが夫が疲れきった顔をして帰って来た。うつらうつらしていた私の寝顔をみて「君はのんきでいいなー!」と皮肉を言われた。私だってさっきまでは心配して起きていたのよ!。

 先日のコンサートの疲れと、大雨のドタバタの疲れと、日頃の疲れが一斉に吹き出し、22日(土)23日(日)の両日は、高らかに主婦休業を宣言し、我 が家で一番庭の眺めが良い、リビングのフローリングの上にドタンと寝そべった。ど真ん中に鎮座ましましている私を何度もまたぎながら、夫と息子はそれぞれ食事の用意をしている。夫は粗末な食事をしながら、ドテーッと横たわって、化粧もせず、鼾(いびき)をかいている私を見ながら「トドの昼寝だなー…。!」と呟いた。

 ええい!もう、どうとでも言って頂戴!わたしゃ精も根も尽き果てているのよ!

 それでは又この部屋でお逢いしましょう。

 

2006年7月23日

 

悪妻宣言…されど

 

 子宮がん手術退院後間もなく、私は夫と対峙して「悪妻宣言」をした!。

 夫は5年前に市役所を無事定年退職し、それからは庭木の剪定、日本野球にアメリカ野球のテレビ観戦、囲碁、寝そべりながら鼻毛の剪定、そして、時間がくれば私が作っておいた食事をする。私はと言えば出かける前に夫の昼食の用意、夜の教室がある日は夕食の用意もして出かける。月に半分以上は夜の教室があるからもう大変。教室のない日は、保存食の為の買い物、準備、それから走って家に帰り、寝そべってテレビを見ている夫に「30分待ってね!すぐ夕食の用意をするからね!」と声をかけて外出着の上にエプロンを引っかけ慌ただしく食事の用意に掛かる。
 私は36歳になってから突然大正琴をやりだし、今日迄、長い間、夫や家族に迷惑をかけているという後ろめたい気持ちを持っていた。だから仕事と家事の両立は死にもの狂いで行って来た。まさに「日本の女!!主婦の鏡!!?」と自分を褒め称え、誇りとし、支えとしてきた。
 しかし入院中じっくり考えた。もう、そんなに頑張らなくてもいい、そんなに若くはないのだ。これからは体を労りながら、如何に大事に長く持たせるかを考える時が来たのだ。夫を教育しなければならない。よーし!!!

 某月某日、夫の前に正座し、朗々と私の考えを述べた。「私が過労で早死にしてしまったら、貴方には過酷な結果が待っている。ひとつ!!二度とこんな素晴らしい嫁さんは見つからない。ふたつ!!惨めな老後が待っている。従って、此れからは私に頼り切りにならず、妻に協力する為に、自分は何が出来るか考え、実践すること!!。等々。」 夫は私の迫力ある「悪妻宣言」に妙に素直に納得してくれた。

 ところがところがである。世の中とは、そうそう上手く事が運ぶものではない。夫に「坂井市春江東公民館長」に就任の打診がきた。地域に奉仕出来、又、名誉なことでもあり夫は受ける腹づもりであろう。私には邪魔をする理由もなし。あろうことか私には、夫からの協力どころか更にお弁当作りという仕事が増えた。勤務は、火、木、土、日の決まりになってはいるが、会合があり、毎日のように昼、夜と出かけて行く。
 定年後自由人の暮らしに馴れて来た夫は、気疲れで家に帰ってくるとぐったりしている。私は甲斐甲斐しく栄養ドリンクなどを飲ませて世話を焼いている。
 あれれ!! 悪妻宣言はどうなった!?前にも増して忙しくなったではないか…???

 まあいいか!その分夫のいない日曜日はなんにもしないで、たーっぷりと昼寝をし、一週間分の疲れの清算をすることにしよう!

 それでは又この部屋でお逢いしましょう。

2006年8月27日

 

体がもっと欲しい!

 

 昨年(2005年)の国民文化祭に始まり、福井ニューイヤーコンサート、勝山市での個人コンサート、福井県立図書館でのストリングフェスティバル、ヴェガ誕生記念コンサート(2006.7.8活動記録参照)、地元春江でのミニコンサート、第17回スタジオリサイタル、文楽の人間国宝・吉田蓑助先生と新内節の富士松菊三郎家元の舞台公演の中での新内節との共演、と休む間もなく公演が続き、只今は、各地の公民館主催の文化祭出演真っ盛り!
 明日11月5日は漆の里河和田の文化祭、更に、11月21日には福井県立音楽堂
(ハーモニーホールふくい)主催の「ちびっこコンサート」出演など、体が幾つあっても足りない!!

 特に「ちびっこコンサート」は3歳児〜10歳児までを対象としたコンサートで、今までこんなに小さい子供達を相手に演奏会をしたことが無いので不安がいっぱい、子供向けのアニメソングなどを選んで演奏するのだが…。

 仕事に追われる毎日で、心に余裕がなく、ホームページ管理のマイクさんにコンサート情報をお知らせする時間も無い程、連日疲れが蓄積し、脳味噌がロープで縛られているようで、何にも考えたくもない程疲れきってしまった!!「ちびっこコンサート」が終わったら少し休養したい!

 今はお風呂に入ることと、眠ることが最大の楽しみになってしまった(涙)!

 もう既に立派に「じじ、ばば」の境地に達しているのだ(苦笑)!

 ところで、今年もリサイタルは好評だった。大勢のお客様が、早くから会館前に列を作って開場待っていて下さるのを、受付の所から拝見したが、本当に有り難く、疲れきっている心と体に鞭打って、舞台で倒れてもいいから精一杯の演奏をしなければと、心に炎が燃え盛った…。

 私はこういう方々に支えられ励まされて、今日まで頑張って来れた。まさしく私のエネルギーの源だ。只、只感謝あるのみ!

 私の演奏を楽しみにして下さっているお客様の為に、今日も一日頑張ろう。ファイト!!

 それでは又この部屋でお逢いしましょう。

2006年11月4日

 

痛み

 

 第17回リサイタル(2006年10月15日 福井市文化会館)の前後に、二人の大切な仲間のご主人が亡くなられた。
 お一人は病を得られてはおられたが、今日、明日が分からない、というような病状とは伺っておらず、又、もうお一人は健康そのもののお体と聞き及んでおりましたが、突然倒れられ、そのまま意識が戻ること無く帰らぬ人となられました。

 リサイタルそのものは大成功ではあったが、仲間の悲しみが胸に突き刺さり、成功を素直に喜べるような心境にはなれ無かった。

 アンサンブルの仲間は私にとって家族同然である。だから、どう言葉を掛けたらいいのか、或いは、そっとしておいてあげた方がいいのか胸を痛めた。それでも、二人は私の心配を乗り越えて、この11月から練習にも、又、コンサートにも以前と変わらぬ様子で参加している。おそらく尽きせぬ悲しみと溢れる涙を心にしまい込み、逆に仲間を思いやり、気丈に前を向いて歩こうとしているのだろう。

 本当に、頭が下がる。

 それでは又この部屋でお逢いしましょう。

2006年11月22日

 

演出

 

 かって、あまりの夫の不行跡に腹を立て、諌める為に、ある「演出」をしたことが有る。

 結婚10年目頃のある時期、夫は麻雀に溺れ、深夜の「ご帰館」が続いたことが有った。遅い帰宅はまだしも、許せないのは、賭け事に不向きな性格で、麻雀等は下手くそを絵に描いたような我が宿六が「麻雀仲間のカモ」になり、給料がゼロという月が数ヶ月続いたことだ。「貴方はカモになっているのよ!」と何度いっても、能天気に「今に取り戻してやる!」とのたまい、自分の勝負弱さにとんと思いが行かぬ。

 私の堪忍袋の緒が切れた!!!

 よーし!懲らしめてやる!うーん!如何にすべきか?

「そうだ、あの人は、私無しではなーんにも出来ない人だ。よし!死んだ振りをしてやろう!」

 二階が私達の寝室になっている。私は当時、たまに使っていた化粧下地の青色のドーランを、顔から唇、首筋、耳、更には、手まで塗りたくり、その上で浴衣に着替え、枕元には線香をたて、線香の匂いで部屋の中をいっぱいにし、じっと夫の帰りを待った。

 深夜2時のまさしく「丑三つ時」である。車を駐車場に入れる音が聞こえた。私は布団に入るとぐったりとした顔の表情を作り、すこし唇をあけ、顎を少し緩め、いかにも意志のない「死人」の顔を演出し、豆電球を付けて薄明かりにし、部屋の空気を冷え冷えとしたものに作った。

 夫がなかなか二階に上がって来ない。今日も又、負けが重なり、私に叱られることを恐れ、ためらっているらしい。でも、今日ばかりは早く上がって来て欲しい。「早く来い」、「早く来い」と手ぐすね引いて待つわたし!

 ようやく抜き足、差し足で夫が階段を上がって来た。私は数珠を両手に掛けて「死人」の顔で薄目を開け、夫の表情を観察することにした。夫がそーっと襖を開けた。薄闇の中に線香の匂いだけが溢れ返っている!

 夫は現状を理解出来ていないらしい。固まったまま突っ立って私を凝視している。やがて「オイ!」と、私を揺り動かしてはみたが、そのまま「ひえー!」
と叫ぶや否や、一目散に階段を駆け降りようとした。「トン、トン、トントン、ドドーッ!ドテーン!」と凄まじい音が深夜の我が家に響き渡った。転げ落ちたらしい!まずい!

 シーン!として音がしない。「ん?!」死んじゃったのかしら?心配になり階段の上から、仰向けに倒れている夫に向かい「大丈夫?!」と声を掛けた。途端に「ギヤーッ!!」とこの世のものとは思えぬ声を出して夫は飛び起きた。私が階段を降りてゆくと夫は四つん這いになって逃げ廻る。

 そうか!私は「死人」の顔のままなのだ。逃げる夫のへっぴり腰と、窓ガラスに映った私の顔を眺め、私はお腹がよじれる程笑い転げた。胸が「スカッ!」とした。夫は余程これに懲りたと見え、それからは、「ピタッ」と麻雀を止めた。

 夫婦を長く続けるには「演出」も必要です。

 それでは又この部屋でお逢いしましょう。

2006年11月23日

 

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2003年制作
 徒然なるまま

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2006年制作
 ヴェガ誕生コンサート
 

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 初めての指揮者体験

コーヒーブレイクが、1冊の本になりました。
 <2007年10月発刊

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2008.3.3 UpDate